創作と困窮と

鈴ふればその鈴の音を食はむとするにやあはれわが子口あく  三ケ島葭子[『三ケ島葭子全歌集』昭和9年]以下同




われわれが作歌の手を止めるとき、単に「出来なくて…」とは認めたくないのか、まず「忙しい」だの「余裕がない」だのと言い訳しがちである。

そういうときは、この人を見よ★

略歴に「埼玉県女子師範を結核で退学」とあるので、教養は申し分なかっただろう。しかし、添えられている写真には唯「不幸と貧困」に疲れ切った顔しか写っていない。
現代短歌アンソロジーをめくっていて、この顔に出くわした。そして作品を読んだ。
涙どころか同情すら不可能なギリギリの状況を、しかし「ひとりの人」として極めて冷静に創作している。
「足袋つぐやノラともなれず教師妻」の杉田久女とは対極にあるようだ。

帰り来(こ)し夫と思へばその面は見つめがたくて茶の仕度する

障子しめてわがひとりなり厨(くりや)には二階の妻の夕餉(ゆふげ)炊きつつ

たまゆらのわれの心に漲(みなぎ)りしかの憎しみを人は知らぬなり

さかりゐる一人の吾子を思ひつつ眼つぶりて飯かきこみぬ


不幸や貧困に流された歌はいくらでもある。大家と呼ばれる人にもある。しかし、ここまで冷徹に追い込んだ歌人を今まで知らずに「済んだ」のは、文芸に手を染めた者としては「不運」と言わねばなるまい。
困窮に人生は拘束されるが、文芸に於いて魂は解放されるのだから。

空明るくただには見えず霧雨は向ひの家の軒に見え降(ふ)れり

花瓶のおきどころなしあやめさして箪笥(たんす)の上は高すぎにけり

人去りて幾時へたるひるの部屋向ひの家に鳳仙花咲けり

死にたりと聞きて心のおちつきぬ死にたる弟思ひつつねむ

わが窓によそのあかりのさしそめて冬のひと日ははや暮れしなり

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by tanka_meitey | 2010-04-28 22:50 | 喫歌室