病いにせよ老いにせよ

先週、河野裕子の訃報を夕刊で知り、少しく驚いたが、よくよく考えなくても彼女の歌とは縁がなかったし、今年の歌会始中継に映っているのを見たのが最初で最後だったし。冷たいよーですが、夫君も歌人、その間に成した一男一女も共に歌人…残せるものはすべてこの世に残して旅発たれた、としか思えない。

その上で、彼女の作品からひとつだけ挙げるとすれば

鬱がちの家系の尖(さき)に咲きゆるび茗荷のはなのごときわれかも





世間並に言えば「女性」としての「しあわせ」を溢れるほど持っているはずの人が、「茗荷の花」のようなうら寂しさを内包していたとは、、、と、少しく意外に思われた。(もっとも、それぐらいの孤独感すら持たぬヒトは、すでに芸術家とは言えないが)

ややあって、きょうは俳人・森澄夫の訃報があった。

ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに

誰の作とも気にせずに、若い頃から好きな句である。
我が父が生きていればこんな齢になるのか、とそれだけ思った。

PCケーブルを脚の細い飴色の蜘蛛が這っている。
おさまりようのない褥暑の宵に、こやつだけが居場所を主張するかの如く、椅子の背もたれに糸を引き始めた。もちろん、丁重に外へ出て頂いた。「夜の蜘蛛は絶対殺すな」とは父の母から、そして多分代々からの教えであろう。そしてつくづく思う、自分だけは何ひとつも残したくはない、と★
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by tanka_meitey | 2010-08-18 20:54 | 喫歌室